「令和」万葉の歴史から

新元号 「令和」は、万葉集の大伴旅人の「梅の花の歌」から用いられました。

万葉集は、奈良時代に発刊された日本最古の歌集で、天皇、皇族から農民や防人

幅広く、豊かな日本文化、伝統を残した「国書」で 最近はよくテレビなどでも紹介されますよね。

この万葉集を編纂したのは、越中国府「大伴家持」が、奈良から富山県へ赴任した時に作りました。

そして、多くの歌を 雨晴海岸で詠みました。

 

 

たぶん、飢饉の災害続きの国難に 大仏建立の国家プロジェクトに最中

奈良から 富山に赴任を命じられたには 左遷だったのだと思います。(違うかな?)

だから、のんびりした、日本海側の でも豊かな富山県で

のんびりと 暮らしてたんだと思います。

 

馬で海岸きたら夏なのに雪をいただいてる立山連峰は神々しいな。とか

磯の上の つままの花は けなげだな。 や 梅の花の下の美人はだれだろう?

など、 牧歌的な歌が多く読まれてます。(ザックリな紹介ですが、、、)

 

そこに、一つ有名な 「海ゆかば」が読まれてます。

簡単に言うと。東北の国に金が出たから 大仏建立の材料にしたいから差し出せよ。

天皇のためなら 海で死んでも、山で死んでも、後悔はない そうだよな?

て 歌が詠まれました。この歌が 大東亜戦争の時に、戦意高揚の軍歌となり

戦死者の鎮魂歌として歌われました。軍艦マーチの2番の歌詞です。

大東亜戦争の時の昭和天皇も、この越中 雨晴海岸にて 戦後復興を祈りました。

奈良時代の元号 天平~昭和 1300年もの長い間伝わつたのは、

万葉集が愛され、いつの時代も研究されて、そして「写本」として伝わり

「令和」の時代に 脚光をあびるとは 長い伝統と 深い文化の国民ですよね。

 

 

と、、、新元号「令和」と万葉集の思う事を書きつづりました。

高岡 雨晴海岸で暮らしてきたので、小さいことから 万葉集に慣れ親しんできたので

まぁ、テキトウに書いてみました。

興味があれは、海越しに望む立山連峰、雨晴海岸や 二上山などの万葉ゆかりの地

歌碑なんかを探すのも楽しいと思います。

 

詳しくは、富山県伏木 万葉歴史館や、

「令和」発案者とされる中西進先生が館長を務める 古志の国文学館(富山市)など

訪れてみてはいかがでしょうか?

 

元号は発表の時、手話で間違って めいわ と伝えたそうですが

過去の元号に めいわ あるんですよ 明和 、、、

これが、めいわ8年までで 9年目には めいわく(迷惑)になるからやめようって、、、

そこは、シャレかよ!!  、、、、、

迷惑はかけないように、営んでゆこうと思います。

 

海辺の宿  めいわそう  でした。。。

スーパーゴールデンウィーク後半戦、笑顔いっぱいがんばります!”

 

 

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お腹を空かせてお越しください。

民宿

女岩荘

 

 めいわそう

 

TEL 0766-44-2838

meiwasou.com

 

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